大学受験フォーラムAIMの代表者の谷口裕亮です。
ドジャースがワールドシリーズを制覇しましたね。
ニュースで何度も最後の場面を見ましたが、
いや、ほんと、久しぶり ちょっと泣けました。
私は何でもかんでも大学受験に例えて考えがちなのですが、
今回のドジャースの優勝についても
「努力は裏切らない」
ってことを思い知った次第です。
相手のブルージェイズも「努力」はしていたのだと思いますが、
負けたために「努力」が裏切られたのではなく、
結果的に歴史に残るような大熱戦を繰り広げたチームであるわけで、
その試合に参加できた、
その試合を行なった、
というだけで「努力は裏切らない」を地で行っているのではないかと思います。
大学受験の指導をしていると、
一生懸命に努力しているのに、
結果的に合格できない塾生にも出会います。
その塾生の努力が「正しい方向の努力」であったとしても、
第一志望の大学に合格できないこともあります。
理由はいろいろですが、
確かにあります。
では、その「努力」は裏切られたのか、無駄だったのか。
私は、どうしてもそうだは思えません。
その「努力」がいずれ実を結ぶことがある、って言いたいんじゃないんです。
第一志望の大学には合格できなかったけれど、
それまでしてきた「努力」そのものが、
その人の人格形成にまで影響を与えて
すでに大学入試の日に人間として一回り成長しているわけで、
その時点、つまり大学入試の日に、
すでに「努力」は裏切ってないんです。
無駄になってないんです。
なんというか、
成功・失敗と、
努力が「無駄にならない」・「無駄になる」を結び付けたくないっていう感じ。
「それは第一志望の大学に合格させられなかったことの言い訳」
って思われるでしょうが、
努力をした→
第一志望の大学に合格できなかった→
努力が無駄だった・努力が裏切った
っていう思考過程が、私にはどうしても納得いかないんです。
「その『努力』ってあなたを成長させてくれてませんか?」
ってことです。
テレビのドラマで、
中学受験を控えた子どもに、母親が、
「中学受験に失敗したら、これまでのあなたの努力が水の泡になるのよ」
って叱咤する場面があったと記憶しているんですが、
そのとき、この言葉にものすごい違和感を感じました。
中学受験で合格するために「努力」している、
大学入試で合格するために「努力」している、
ワールドシリーズで勝つために「努力」している、
夏の甲子園で優勝するために「努力」している。
それが叶えられなかった時、
その「努力」は水の泡になるのか、無駄になるのか、
すべて同じだと思うんです。
水の泡にもならないし、
無駄にもならない。
だって、成長できたんだから。
で、また次の目標に向かって「努力」すればいい。
塾生には大学入試に成功してほしいので、
私自身は「努力」します。
そして私はそれを仕事としており、
仕事としている限りは「結果」が全てですから、
「どうして合格に着地させてあげられなかったんだろう」
「もっと こうするべきだった」
という「反省」はします。
猛烈に「反省」します。
そして、改善します。
で、また新たに「努力」します。
27年間、それを続けてきたわけです。
たぶん私は「努力しても無駄」っていう言葉が嫌いなんでしょう。
少なくとも私自身の経験上、「努力」が「無駄」になったと思ったことは、ない。
どんなに失敗していても、です。
大学入試シーズンに入りました。
今年も多くの塾生の、
多くの「努力」を見てきました。
その「努力」している時点で、すでに尊いのだ。
そう思いながら私は塾生たちを見ています。
そのうえ、
合格までしてくれたら、
私は狂喜乱舞したくなるぐらい、
許されることなら道頓堀川に飛び込みたいぐらい、
嬉しい。
でも、正直に言うと、
努力して大学受験に立ち向かっている今の姿を見せてくれているのが、
実は合格よりも、もっと嬉しい。
その姿は、本当に尊い。
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