最近、よく考えるんです。
価値観の多様化って、本当に良いことばかりなのか?
って。
大学受験フォーラムAIMの代表者の谷口裕亮です。
僕は大学受験の国語・小論文を専門に教えているのですが、
現代文の文章とか小論文を読んでいると、
・価値観の多様化=善
っていう文章が多いんですけど、
本当に「善」とばかり言っていてよいのか?
そう考えることが非常に多いです。
基本的に「価値観」というのは「文化」に左右されるものだと思うんですが、
そうなると「価値観」が多様化するということは「文化」が多様化するということで、
このグローバル化社会・インターネット社会においては、「文化」が多様化するのは当然だと思います。
そして「文化」が多様化するということは
けっきょく「独自の文化」というものの喪失につながるわけで、
これについては時代の趨勢に従えば仕方がないことだろうと思います。
そもそも純粋な「日本文化」や純粋な「アメリカ文化」などというものが
存在しないことは自明の理なのであって、
もともと「文化」というものをアイデンティティの根拠とすることには
無理があったのだろうとも思います。
でも「価値観」の方はどうなんでしょう?
究極のところ「価値観」の多様化というのは、
・いろいろな価値観の存在を認めていこう
・各人の価値観を認めていこう
ということをも含意しているように思うのですが、
その「認めていこう」と言っている「価値観」の対象は、
本当に《すべての価値観》でいいんでしょうか?
もしも
・すべての価値観を認めていこう
ということになると、例えば
・女は家を守り、男は外で仕事をするべきだ
・女は結婚して子どもを産むことが仕事だ
という旧態依然とした価値観をも認めなくてはならないことになるのですが、
本当にそれでいいのでしょうか?
旧態依然とした価値観は認めなくていいけれど、
新しい価値観は認めなくてはならないのでしょうか?
では、
・仕方がない場合は人を殺してもよい
という価値観はどうでしょう?
殺人は法律で禁止されているのだから、
これは認めてはならないのですか?
でも戦争が起こった場合には
この価値観は認められますし、
正当防衛という場合も
この価値観は認められますよね。
認めてもいい価値観と、
認めてはならない価値観とが存在するなら、
その線引きはどこなのでしょう?
そして誰が判断するのでしょう?
・それによって不快な思いをする人がいるかいないかを判断基準にする
という意見も聞きます。
では、
・女が会議に参加すると会議が長くなるからめんどうだ
という価値観(=考え方)を言明した人がいたとします。
実際、かつて いましたね。
もちろんこの考え方を不快に思う人がいますし、
私自身もこれに対しては「女性差別だ」とも思います。
でも、だからといってこの発言をした人に対して、
・老害だ!
と非難するのはオッケーなんでしょうか?
世の老人たちは、この「老害」という語を不快に思いませんか?
旧態依然の保守的な価値観を所有している人を「老害」と断罪するのがオッケーなら、
そもそも
・すべての価値観を認めていこう
という目標ともズレていますよね。
基準はなんなんでしょう?
そして何が許されて何は許されないのでしょう?
価値観の多様化が逆に生きにくい社会を作っている面はないのでしょうか?
言動を抑圧してしまう場合があるのではないでしょうか?
最近、こういうことをけっこう考えていて、
ときどき「ええい! めんどくさい!」と思うこともあるのですが、
生徒に「思考をやめてはいけない」とか
または「複雑なものを複雑まま理解できる能力を身に付けよう」と言ってきた自分を
殴りたくなったりします。
そして
・「思考をやめてはいけない」というのも一つの「価値観」だな
とか思って、この「価値観」は言葉にしても大丈夫なんだろうかって悩んだりしています。
現代社会は
ほんとうに生きていくのが大変です。
大昔から、どの「社会」においても
生きていくのは大変だったと思うのですが、
現代社会の大変さは突き抜けているように思います。
その原因は
・グローバル化社会(とはいってもけっこう欧米が中心なんですが)
・インターネット
・AI
などにあるのではないかと思うのですが、合ってますかね?
インターネットを「悪」と決めつけているようで、不快に思う方もおられますかね?
もしかしてこれって「中二病」なんでしょうか?
あっ、「中二病」って、中学二年生の人が不快な思いをしますかね。
なんかね、もう何を言っても断罪されそうで、怖い。
・
・
上記のようなことを知人に話したんですが、
ひとこと、
・おまえ、めんどくさい
と言われました。
そして、
・気にせず言いたいことを言えばいいじゃん
と言われました。
それに対して
・じゃあ、どうすれば「気にせずに」言いたいことを言えるんだ?
と言うと、
・そんなこと、自分で考えろ
と言われました。
あっ、やっぱりそうだよね、
って思いました。
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